第1回 腹証奇覧・奇覧翼を読む 師匠と弟子の物語
- 峯 尚志
- 2024年6月22日
- 読了時間: 3分
今回より、江戸時代の代表的な腹診書である稲葉文礼著の腹証奇覧と、弟子の和久田叔虎によって書かれた腹証奇覧翼の2書を同時に比較しながら読み解いていきます。
腹診とは望聞問切という東洋医学の四つの診察法のひとつである切診という診察法のひとつで、直に患者さんのおなかに触れて診断する方法で、我が国で特に発達してきた診察法です。そして腹診法の江戸時代におけるひとつの集大成が腹証奇覧と奇覧翼という書物になります。
はじめにー腹診の実際を読み解く前にー
著者である稲葉文礼と弟子の和久田叔虎の来歴を紹介します。
師匠である文礼は、幼くして両親と別れた孤児であり、本人自ら悪の限りをつくしたと言っているように、読み書きもできない無頼の輩でした。それが友人のふとしたすすめで、お金をもらって人を救い感謝される医者という仕事があることを聞き及び、医の道をめざします。しかし読み書きもできない文礼の入門を許してくれる先生はなかなか見つかりませんでした。そんな中、文礼の弟子入りを許してくれたのが鶴泰栄という腹診の名人だったのです。
泰栄は文礼の腹診の才能を見抜き、「おまえは本は読まなくていい。そのかわり患者さんの腹をみて診断し、治療する力を身につけろ。」とベッドサイドで文礼を鍛えていきます。
読み書きができない分、文礼は自分の感覚を頼りに懸命に腹診の術を深めていき、師のもとを離れてからは遍歴の医師となり、そしてついに弟子の力を借りて『腹証奇覧』を書き上げたのです。
弟子の和久田叔虎も医者の出ではありませんでした。母が病に倒れ、よりよい医師による治療を求め、母の看病に明け暮くれますが、一向に母の病状は改善しません。母の病を治せる名医には遂に出会えなかったのです。
そして遂に自らが医師の道を目指そうと覚悟を決めます。しかしよい師に出会えず悶々とした日々を送っていました。
そんな時、浜松の友人の家にたまたま寄宿していた文礼に出会います。二人はたちまち意気投合し、文礼はしばらくの間、浜松にとどまり、腹診の術を叔虎に伝授していったのです。
その後、二人は西と東に書かれ、数年過ぎました。そしてある日、叔虎は町の書店で腹証奇覧という腹診書を手に取り、師匠の文礼の書であることに驚喜し、むさぼり読み込んだのです。
ところがその内容は、期待したものとは全く違って不十分な内容でした。師匠の腹診術はこんなものではない、叔虎は怒りさえ覚え、自らがその解説書に取り組む覚悟を決めました。
そして江戸から京都に向かい文礼と再会、腹診談義を重ね、文礼の死後、腹証奇覧翼を発表したのです。弟子が師匠の間違いをただす解説書を出すなんて普通ではあり得ないことです。
しかし、そこには叔虎の文礼に対する深い尊敬と愛情があることに私は気づかされました。叔虎は文礼とは正反対の性格で真面目で几帳面、読み書きも堪能で、古今の文献にあたりながら、本物だという文献に目を通して奇覧翼を解説していきました。
その内容はすばらしく、私は奇覧翼だけを読むほうが、よいのではないかと思ったほどでした。
しかし読み進めるほどにあんなにいいかげんに書かれたと思っていた文礼の絵の方が、実際の病人さんの様子を活き活きと表現していることが分かりました。この著作は二つで一つ、両方を比較して読むことによって、腹診の深みを知ることができると思い至るようになりました。
二つの著作は師匠と弟子の愛の物語でもあったのです。
腹証を読み解くだけではなく、二人の客観的認識の差異、そして師匠の足跡を補填し、追いかけ、愛する弟子の気持ちを考えながら読むことによって、時代を超えて生き生きとした東洋医学に対する情熱を感じていただけたら幸いです。
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