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故土方先生への追悼文

峯 尚志

「私は、漢方や中医学を学ぶ、若い人たちを応援したいの。私が学んできたものを全部、あなたたちに伝えたいので、研究会の代表になってほしい。」

「私たちに?ですか。失礼ですけど土方先生、お気は確かですか。」

「もちろんです。私はかっこなんてどうでもいいのよ。患者さんを治すためにがんばっ ている先生たちに私が学んできたものを伝えたいの。」 2007年11月、症例発表とともに歌って踊る講演会を仲間と開いた。一症例ごとに紹介と解説、歌って踊って、そして次の症例へ。そんな講演会を目の当たりにしていた土方先生との、最初の、そして思い出深い会話である。なぜ、私たちのような何もわかっていない輩に目をかけていただいたのか、今でも不思議であるのだが、土方先生に導かれ、北摂中医学研究会は私を代表、土方先生を顧問としてスタートした。ちまたにはオープンの研究会は多いが、土方先生と相談し、セミクローズドにこだわった。参加する人が聞きっぱなしになるのではなく、自らも発表しながら学ぶ血の通った勉強会にしたかった。以来10年、すぐに消滅すると思っていた会は100回を超え、土方先生は毎回参加、講義も担当してい ただいた。

先生は、私を毎月お宅に招いてくださり、黄帝内経素問や霊枢の二人きりの勉強会を開いてくださった。私は参加するので精一杯、土方先生はいつも予習をして臨まれた。会のときは、毎回カレーをご馳走になり、珈琲を頂戴した。お宅にお邪魔するといつもCNNのTV放送が流れていた。


先生の眼はいつも世界に向いていた。「今度、アメリカの学会に投稿するの。狭い日本にこだわる必要ないのよ。先生もたくさん患者さんをみて診ているのだから、論文を書きなさい。私が英訳の手伝いをしてあげるから投稿したらいいのよ。なんでも書いてだしたらいいのよ。」 土方先生は、中医学に関しては神戸中医学研究会のメンバーであり、陸希先生、菅沼栄先生の指導を受けられ、神戸中医学研究会、田川勉強会、二宮塾に所属され、日本漢方においては、温知会に所属され、和田東郭の蕉窓雑話を研究された。北摂中医学研究会の顧問を務める他に、梅田中医学研究会を主催され、たゆまなく後輩の育成に尽力され続けた。  先生は、若いころは、工学部に所属された。時代が時代だけに、女性だからという理由で大変に苦労され、男女の区別なく活躍できることを望み、再び医学部に進学し、医師となられたと聞いている。そのご経験から、とくに女性医師に対しては、思い入れが強く、自宅の勉強会、梅田中医学研究会ではもっぱら女性医師を育てることに力を注がれた。先生に育てられたたくさんの女性医師たちは、注がれた愛情を誇りに皆それぞれの分野で活躍されている。 私は、土方先生の診察の現場を見たことはない。しかし紹介患者さんを通して土方先生の治療を垣間見ることができた。先生は自費診療であったため、治療費の問題で保険診療希望する患者さんは、私のクリニックへ紹介してくださっていたのだ。しかし、よく処方をみてみると、高額な自費薬が処方されていることもあった。後日、土方先生にお尋ねすると「その薬はね、私が研究のために飲んでもらっているので、代金はもらってないの。」「いいのよ、それでこっちが勉強になるんだから。」と笑顔で答えられた。患者さんの負担にならないよう気配りをしながら、まっすぐに「治すこと」に没頭しておられた。  ご逝去されたとき、皆で棺をかこんで土方先生のお顔を拝見した。  男女問わず、土方先生に育てられた者たちは、明日からメールの返事が返ってこないことが信じられないと口々にいっていた。「どんな夜中に質問のメールをしても、論文をみてもらうために長文を添付したメールをしても、数時間以内にいつも返事をくださった。」皆がそういうのである。土方先生はいつも早朝から深夜まで、どの先生にも分け隔てなく、愛情を注いでくださった。  勉強会ではいつもきらきらした目で、「それは面白いわね!もっと深く勉強して、また教えてちょうだいね!」と後輩たちにお話されていた。謙虚で、いつまでも探究心を失わず、最期まで走り続けた偉大な先生であった。 すばらしい中医学をもっと多くのひとに知ってもらいたい、そしてひとりでも多くの患者さんを救いたい。そして本当のことが知りたい。もっと勉強したい。興味があれば日本でも外国でもどこでもすぐに出かけて行き、そこで得た知識はすぐにみんなに伝えて分かち合いたい。そんな熱い思いを常にもたれ、純粋に中医学を愛し、そして真実に忠実であることを望まれた。  私たちは土方先生の深く篤い愛情に育まれ、また支えられてきた。そのような、日本の中医学の偉大な駆動力ともいうべき存在を突然失って途方にくれるばかりだ。先生にどれだけ甘えきっていたのか、いまさらながらに思い知っている。馬鹿ばかりやっていた無学な私をここまで導いてくれた先生に、感謝を言い尽くす言葉はもはや見つからない。 私にできることは、先生のやりかけていたことを地道に引き継いでいくことだと思っている。流派におもねず、古代の人が感覚的に会得したこころとからだの秘密を西洋医学的な病態生理の助けを借りながら紐解いてゆく作業を続けていくこと、そして次の世代に引き継ぐこと、先生はそれを心から望んでおられた。  もう北摂中医学研究会に先生が来られないことが今でも信じられない。  来月には、また、「あら、こんにちは。ちゃんとがんばっているの?しっかりやりなさいね。」といいながら、席に座ってにっこり皆の顔を眺めているのではないかと思ってしまう。  それほど、先生は身近に、私たちを支えてくださった。  先生、残していただいた北摂中医学研究会を、古き知恵を守り、新しい未来を育てていくために続けていきます。どうか私たちを見守っていてください。  こころから、ご冥福をお祈り申し上げます。                                  2018年2月11日

以上が、土方先生がご逝去されたときの追悼文である。今でも読み返すと、涙が出てくる。

自分が学んできたことを惜しげもなく与え続けてくださるその愛と強さと潔さ。

せっかちな先生はまだ自分が自分の運命を追い越して旅立たれたことを気づいていないのではないかと思います。紀先生が先生の足跡を残してくださいます。先生に育てていたいだ私も自分の書いたものを載せさせていただきます。それを肴にいつか一緒にカレーライスを食べながら漢方談義をいたしましょう。そしてこの備忘録を読んだ若い力が育っていってくれることを望みます。




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