ご遺族の許可をいただき、東洋医学備忘録に土方先生の御遺稿を掲載させていただくことになりました。5年前亡くなられたとき、お葬式に参列して、あまりにもあっけなく、突然の別れに、悲しすぎてなかなか土方先生の喪失という現実に向き合うことができませんでした。
先生の遺された知恵もなにもかも、一瞬で消え去ってしまったような気がして、その茫然自失、喪失感は計り知れないものでした。
備忘録はその喪失感とともに生きるうちに、先生の言葉を思い出して作ろうと決めた面もあります。
こうして数年経って、御遺稿を遺していけることになったことは、本当にうれしいことです。土方先生の東洋医学への情熱、そして愛。
この備忘録を作るきっかけを土方先生に与えていただいたことに感謝します。
以下に当時の追悼文を載せます。
読むと悲しいけれど、やはり、悲しみがまた、このようなエネルギーとなり、未来へと繋がったことはしみじみとよかったと思えるから。
土方先生を偲んで
お葬式に参列させていただき、土方先生のお顔を拝顔したとき、
明日にはまた、勉強をするわよというお顔をされていて、それがとても悲しかった。
もう土方先生は深遠なる東洋医学を深めることは現世ではできない。
あれほど愛し、あれほど貫いてきた哲学を人に伝えることもできない。
寒い冬の日、肌に突き刺さる凍ったその悲しみが身に染みた。
私自身は、土方先生とのお付き合いは、本当に北摂中医学研究会に所属した短い数年であったが、
土方先生は学会発表や論文作成の折りに触れて、
必ずコメントをくださり、
学会発表に見にこられないときは「不義理をお許しください」と必ずメールをいただいた。私は、団体に所属したり、上の先生を奉って何かを学んだりするのははっきりいって苦手なほうだった。
しかし、いろんな物事を相談したり意見をお伝え申し上げたりするたびに、
土方先生は私のそんな気持ちなど吹き飛ばすような愛情をお示しくださり、導いてくださった。
正直なところ、自分より過激な年上の女医になど,
生涯会うことはないだろうとおもっていたのであるが、
東洋医学を志して数年で、そんな先輩に会えたことは奇跡に近いことだったのだと今は思う。
どんなところが過激であったかという逸話はたくさんの先生方が思い出をもたれているであろう。
だんだんと土方先生の過激さを好きになるようになった過程はたくさんある。
この間打撲したのよ。それでね、治打撲一方を20gくらい飲んだの。
そしたらとってもよくなったの。やっぱりそのときに飲まないとわからないわね。
と、あるときおっしゃった。20g・・・・・・一回にそれだけの量を飲むだけでも、勇気がいるが
それを平然とそしてとても楽しそうにお話されていた。私自身も、処方薬は自分で効果のほど、
どれほど効くのかをまず自分の体で試してみて初めてわかるとおもっているほうであるが、
それだけの量を飲む勇気はいまだ持てない。
土方先生のその純粋さ、生薬を愛する心、それがいつのまにか自分の心に染みていき、
師匠なんていらないぜと思っていた私が、本当に尊敬申し上げる人となった。
最後にかわしたやり取りの中で、いまでも泣けてくる土方先生の言葉がある。
ただの漢方屋になってはだめよ。ほんものの漢方医になりなさい。
自分の道を信じて進みなさい。
ほんものの漢方医っていうのはね、人間をまるごとみれる人を言うのよ。
今の人たちはみんなひとつの臓器だとか、ひとつの部位だとかしかみなくなって、
それで、漢方出して喜んでいるけれどね、そんなのただの漢方屋なのよ、
そんなやつがいたら殴って目を覚まさせてやんなさい。
先生、先生は、その人を愛していれば、本当にその人を殴って、目を覚ましなさいといいそうです。私はまだ、そこまでできません。できないけれど、まずは自分が、ただの漢方屋にならないように日々生きています。ただたくさん箱をならべて、既成概念に囚われて、
機械的に漢方を出すことのないように、丸ごと見ることができているかはわからないながら、
なるべくその人全体をみるほんものの漢方医に近づけるように。
先生に先述の言葉を頂いてから、私は、本当に土方先生の言うことだけは聞こうと決心した。
彼女がこうしなさいといったら、絶対にそうしようと。
それなのに、土方先生。
逝くのが早すぎます。
私はまだ、なにも、先生の言ったことをしていません。
先生はまた、こうもおっしゃいました。
未来の自分のために、論文を書きなさい。
過去、自分がどう考えていたかを知るために。
それが自分の道しるべになって、また新たな発見があるのよ。
人のためになんか書かないでいいの。
これからの東洋医学を学ぶ人たちのために、自分の力を使ったり発表したりするのよ。
お願いね。
先生、毎日の診療の中で、先生の精神や、他への愛情、
伝統を引き継いで伝えていこうとする熱い信念、教えてくださったことを決して忘れずに歩みます。
そして、きっと笑顔で「とっても面白かったわよ!」といっていただけるような、そんな発見を自分が感受性を失わず、見つけ続けたいと願います。
それが、先生が一番喜んでいただけることだと思うからです。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2018年2月11日 紀 優子
Kommentare