今回は二刀流で有名な剣豪・宮本武蔵に登場していただきます。武蔵の目の使い方を通して,望診における目配りを学んでいきたいと思います。兵法と漢方診療は相通ずる点がありそうです。以下『五輪の書、水の巻』より引用します。
一.兵法の眼付と云事
眼の付け様は大きに広く付くるなり。
観見の二つあり,観の目つよく,見の目よわく,遠き所を近く見,
近き所を遠く見ること兵法の専なり。
敵の太刀を知り,聊かも敵の太刀を見ずと云事,兵法の大事なり。
工夫あるべし。此の眼付,小さき兵法にも大なる兵法にも同じ事なり。
目の玉動かずして両脇を見ること肝要なり。
かようのこといそがしき時俄にわきまへがたし。
此の書付を覚え常住此の眼付になりて,
何事にも眼付のかはらざる処,能々吟味有べきものなり。
一点を見据えながら両脇をみる
目の付けどころは大きく広く付けること,これが「観の目」です。一方,一カ所を凝視する目が「見の目」です。武蔵は一点を凝視する目を弱く,全体を見る目を強くすべきであると説いています。近いところの敵の動き(部分)ばかりにとらわれていると遠いところ(全体)は見えなくなります。遠いところを近くに,近いところを遠くに見ることが大切だというのです。敵の太刀だけを見ていては,その太刀がどのような動きをするかはわかりません。目や身体の傾き,力の入り具合など敵の全体像を把握する必要があります。さらに目を広くして,側面や背面から迫りくる敵の様子についても目を配る必要もあるでしょう。達人の目です。この見方は敵が目の前の 1人であるときも,複数であるときも,あるいは大きな戦のときも大切だと武蔵は言っています。大きい兵法というのは,ビジネスや政治,外交などに必要とされる大局観にも通じます。
広い視野をもつといっても,キョロキョロとあちらこちらを見ているわけではありません。目の玉は一点を見据えて動いていないのです。一点を見据えながら両脇まで見ているという目が観の目なのです。武道だけでなく,球技などのスポーツにおいても,周りのよく見えている選手というのは,このような目の使い方をしています。サッカーならキラーパスを出す選手の目配りです。このような目の使い方は訓練を重ねてはじめてできるもので,一朝一夕には会得できないものです。
患者さんの声なき声を望る

漢方医学においても同様です。ここで観の目を「望」に,見の目を「視」に読みかえてみます。目の付けどころは望と視の2通りがあるというわけです。近代科学の発達は,マクロからミクロへ視の目を強化してきました。一方で全体をみる見方は後回しにされることが多くなりました。現代医療においては,視の目が強く,望の目が弱くなっているわけです。兵法ではこれを逆にするべしと武蔵は言っているのです。標的を強く見すぎると周辺をしっかり見ることができません。敵の太刀ばかりを見ていても,その太刀のスピードに追いつくことができません。また敵は正面に1人だけとは限りませんし,周囲に土手や川があるかもしれません。敵が多かろうが少なかろうが周辺にも目を配ることは大切なことなのです。そのとき,目の玉を動かさずに両脇まで見ることが重要です。そして常日頃の生活においてもこの「目付け」のトレーニングをするべしと武蔵は説いているのです。
日常診療において,医師は病気でなく患者さん全体をみます。顔色がどす黒いとか,目に力がないとか,終始うつむいているとか,右手の動きが悪く震戦しているとか,うれしそうだとか,悲しそうだとかいう感情面も含めて多くの情報をみることができます。このような情報は言葉を交わす以前から望えるのです。広い「目付け」という意味では,職業,家族構成など患者さんを取り巻く環境因子に対しても,目を配る必要があります。患者さんが何を訴えているのか,声なき声を望るのです。思わぬところに治療のヒントが隠されているかもしれません。
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