どのようにみるのか
- 峯 尚志
- 2023年4月16日
- 読了時間: 6分
さて今回から「どのように」望るのかということを考えていきたいと思います。この点について明記された論説はほとんどなく,あったとしても断片的です。そこで「どのように」について現代に活躍する人や先人の言葉を引用しながら論じていきたいと思います。また技法としての望診について述べると同時に,ものの見方考え方としての望診についても言及していきます。
「望」の字は、「背伸びして遠くの月を仰ぎ見る」という意味です。対象をできるだけ詳しくしっかり視る視診とは違って,「望診」はもっと視野を広くしてみるわけです。
図1を見てください。「視る」は対象をしっかりとフォーカスしてみます。その線をそのまま延長してゆくと広く全体をみる「望る」に変わります。すなわち図2のようになるわけです。実際の臨床では「視る」と同時に「望る」見方もできるようになると思います。
「視る」は能動的なのに対して,「望る」は受動的な要素も含んでいるように思います。向こうから発している情報を受け取るような感覚です。

図1
ろうそくを集中してみる目線が実線で「視」になります。この目線 でろうそくを通り越してそのまま伸ばしてゆくと点線で,広く全体をみる「望」の目線になります。

図2
実の部分は,実際の「望」の目線です。感覚的には点線のように,額から広くみているような感じになります。
鳥瞰的にみる
空を飛ぶ鳥が,高いところから下をみるように,全体を見渡す見方です。鳥は高いところを飛びながら全体を広くみながら獲物を探します。道に迷ったときも,一度高台に登って全体をみて,状況を把握することによって正しい道を選択することができます。
大局的にみる
大局観とは将棋や囲碁で使われる用語で,部分的なせめぎ合いにとらわれずに,全体の形の良し悪しを見きわめ,自分が今どの程度有利不利にあるのか,堅く安全策をとるか,勝負に出るかなどの判断を行う能力のことをいいます。これも全体をみるという見方の重要性を表しています。
この点については棋士の羽生善治さんが『大局観』という本を書いておられるので「望診」の参考図書としてあげておきたいと思います。「望診」は診察の手段であると同時にものの見方,考え方でもあるからです。
木をみて森をみる
「東洋医学は木を見て森をみる医学だ」といわれます。西洋医学は部分部分をみるのは得意ですが、全体をみるのは苦手なところがあり,「がんは小さくなったが(治療は間違っていないが)患者さんのQOL は低下し,結果として余命の延長の効果もなかった」というようなことが起こる危険を内在しています。全体像を見渡すことは,現代医療においてもますます重要性を増しているといえます。
観点をかえてみることー病人さんの主観を知るー
この世界は客観的存在でありながら、実はその人の遺伝的素因や後天的人生経験によってさまざまに彩られています。その人の主観によってまったく違うものがみえることがあるものです。同じ『赤』という色をイメージしてみたとき、赤い色のニュアンスは人それぞれに異なっているのです。人は自分がみたいようにこの世界をみているのです。
例えば認知症の方が、みている世界は私たちがみている世界と大きく異なっていることは理解しやすいでしょう。過去の出来事が今起こっているかのように感じているとしても、その人にとってそれが今見えている世界なのです。同様に一見、客観的世界に生きていると思っている私たちの世界の認識も、それぞれの個性に彩られているのです。病人さんがこの世界をどのように捉えているかを感じ、知ること、このことも私が大事にしていることです。病人さんの主観を感じとり、客観性との隙間を埋めていくことは、東洋医学的診察の要だと感じています。時に、病人さんの主観に寄り添った対話をしているうちに治癒機転が生まれることもあるものです。
症例̶̶「ラ,ラ,ラ」
59 歳の A子さんは,身長 157㎝, 体重40㎏と瘦せ形の女性です。2年前にくも膜下出血を起こされました。数カ月前より,体動とともに「ラ,ラ,ラ」と大きな声が出るようになり,周りの人の迷惑になるので,電車に乗れない,レストランに行けない,デパートに行けない,どこにも連れて行けないということで家族と来院されました。
四肢の麻痺はなく,歩行は正常。もともと知的な方ですが,短期の記憶障害があり,集中力がなくなり本を読むことはできなくなりました。意欲が低下し,うつ傾向にあり,食欲が低下しています。30坪のクリニックですが,どこにいても「何,今の声!?」と周りの患者さんが目を見合わせるような大きな声が不随意に出ます。近医で抗うつ薬・抗不安薬・抗てんかん薬、抑肝散などが処方されましたが,まったく効果がなく,神経内科でも原因がわからず,お手上げということで当院を受診されています。脈は沈細,舌は瘦せていて,しばしば口の外に出ています。腹力は虚で軽い腹直筋の緊張を認めます。意欲がないため,会話は困難ですが,イエス,ノーは正確に言えるので理解力はあるようです。クリニックにおられる間,大きな声が頻回に聞こえますので,なかなか大変でした。ベッドで身体を折り曲げて横になりうつむく姿,眉間に寄せたしわ,現実世界を見たくないようにすぐに閉じたがる目,質問に答えるときの短くとがった声の調子から,やるせない怒りの気持ちを感じました。そこで甘麦大棗湯を処方しましたが効果がありません。抑肝散合甘麦大棗湯にしたり,補陽還五湯を意識して地竜を加えたり,いろいろ工夫しましたが無効です。この調子で3カ月が経過し,こちらもお手上げ状態になりました。家族には席をはずしてもらい,2人きりになってゆっくりと話を聞くと,「腹が立つことが多すぎる」「治したいとは思わない」という本音を話してくれました。治りたくない人を治すというのは至難のわざです。病気のせいなのか,治りたくないという気持ちのせいなのか,食欲や食事量も減り,声の大きさとは裏腹に元気がなくなっていくように思いました。顔色は青白く傾眠傾向で,意欲なく,時折尿失禁もあるようです。
ここにきて私は大きく治療方針を変えました。症状をよくしようと頑張るのをやめたのです。声のことは保留にして,患者さんに元気になってほしいと思うようになりました。そこで小建中湯,後に黄耆建中湯を処方したところ,食欲が改善しました。活動性が亢進し,デイサービスに行くと,「ずいぶんしっかりとされましたね」といわれるようになりました。しかし声はますます大きくなるとご家族に叱られました。それでもとにかく声に注目せずに,食欲や活動性の改善を喜ぶようにしましょうと家族を説得しました。変方後1カ月がたった頃,はじめて「声が少し小さくなりました」と家族から報告がありました。そこでさらに小建中湯合補中益気湯とし,頃合いをみて小建中湯合抑肝散加陳皮半夏としました。この処方で「ラ,ラ,ラ」はついに限りなく小さくなりました。私には聞こえますが,待合室の他の患者さん,受付のスタッフは彼女の「ラ」に気づきません。ささやく程度の「ラ」になりました。現在の学的見地,症状の目的論や対人関係論といった臨床心理学的な見地など,いろいろな方面から考えることができます。漢方医学的には,中気を補い,清陽を昇らせることで脳の抑制機能が回復したといえるのかもしれません。皆さんも「ラ,ラ,ラ」が小さくなった本当の理由について考えてみてください。みんながこの声をなんとかしたいと声に注目しましたが,声の周辺に治療のポイントがあったようです。治療者が,患者さん,症例を通して感じていただけたら幸いです。
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