About Author
執 筆 者
紀 優子
2011年より北摂中医学研究会に所属
2013年よりきの小児科医院院長
植物と庭と東洋医学をこよなく愛する小児科医

執 筆 者
土方 康世
元東洋堂土方医院 院長(大阪府茨木)
1942年生まれ
1965年大阪大学工学部発酵工学科卒業
1971年大阪大学工学部博士課程修了(工学博士)
1978年関西医科大学卒業
1984年医学博士
1980年東洋堂土方医院開設
2018年1月9日逝去
著書に,『今日から実践 痛みの漢方治療』(医歯薬出版・2009),『RECENTADVANCES IN THEORIES AND PRACTCE OF CHINESE MEDICINE』「Aplication of“Five Elements Theory”for Treating Diseasesin“Chinese Medicine”」(分担執筆INTECHWEB .ORG Croatia 2011),『臨床に役立つ五行理論 ―慢性病の漢方治療』(東洋学術出版社・2015)がある。


監 修
峯 尚志
北摂中医学研究会会長
内科医、漢方医
2004年峯クリニック開設
師匠の三谷和合先生、土方康世先生の意思を継ぎ漢方の道の歩みを若き研究者とともに続けている

絵 の 選 定 に 際 し て ――――――
神農と薬草
作者不明
数千年前のこと、王朝もなかった頃の古代中国では、神から文化を授かったと信じられていました。古代中国は半神半人が治めており、そのうちの一人は炎帝と呼ばれました。
炎帝は賢く慈悲深い皇帝でした。人身牛首で、腹は透明だったと言われています。太陽の神として呼ばれました。農業、薬草、医療に尽くしたため、五穀天皇、中国医学の神などとも呼ばれますが、神農として一番良く知られています。
医療の知識を広げるために全力を尽くそうと心に誓った神農は、毎日、森や繁みに入り、野生の植物の標本を見つけられるだけ集め、味や属性で分類していきました。透明な腹がここで役立ちました。毒草と薬草を見分けていくことができたのです。そして365の薬草、果実、野菜と五穀(米、麦、もろこし、粟、豆)を選定しました。
この過程で、神農は、いかに植物が成長するか、それぞれの薬草に適した土壌、繁茂の季節などを理解するようになりました。神農は暦、すき、斧を発明したと言われています。広域にわたる耕作、保護、そして食料の貯蓄を編み出すことで、民が飢えないようにしました。これが中国での農業の始まりとなりました。数千年後、漢朝の学者によって、神農が発見したことを基に『神農本草経』がまとめられました。すべての薬草を試したといってもいい神農は、長生きしましたが、最期に、「断腸草」という薬草を試したとき、解毒剤が間に合わず、亡くなりました。神農の私心を捨てた生き方は、今も受け継がれています。そして後世に残した知識、自己犠牲が実らせた功績は、人類に限りなく活用されています。


朱描鍾馗図
葛飾北斎
しゅがきしょうきずと読みます。
鍾馗(しょうき)は、疫病や魔除けの効果があるといわれる中国伝来の神様で、玄宗の夢の中で最初に現れたときは鬼の姿をしていたそうです。
当時は鍾馗図を飾ることが流行っていたので、北斎も様々な鍾馗図を描いていますが、この絵は江戸時代に流行した疱瘡(ほうそう)を除けるため、効能があるとされた朱色の明暗で表現されています。
気合のある風貌、疫病を切って捨てる殺気が絵からにじみ出ています。人を診るときに何よりも、自分が得た感覚を大事に、疫病退散に努めたいものです。
Hygieia
Gustav Klimt
グスタフ・クリムトによって描かれたヒュギエイア、ギリシア神話に登場する女神です。健康の維持・衛生を司る女神と言われています。
ヒュギエイアの父は医神アスクレピオスといい、彼の持つ杖とともに治療の象徴とされました。
ヒュギエイアの持つ杯は、薬学のシンボルといわれていますが、同時に治癒、心身のバランスを保つという意味も含まれています。

牡丹に蝶
葛飾北斎
北斎の「北斎花鳥画集」シリーズのひとつです。ただ単に花と鳥を描写するだけでなく、自然の中にある風や空気感までを表現しようとした様子が絵から伝わってきます。本作品、牡丹は4~5月頃に咲く花で、花言葉は「誠実」「高貴」などがあります。風になびく牡丹に蝶が止まろうとしたその瞬間をとらえていて、写真がない当時において北斎の描写力がうかがい知れる作品です。
瞬間は永遠です。瞬間の中にすべてが凝縮されていると感じることができたときに、深い喜びがあるように思います。
